天才について

では、天才についてはどうだろう。

シェイクスピアやモーツァルトやアインシュタインやアブドゥル・ジャバー級の天才を自然洵汰で説明できるだろうか。

ジェーン・オーステインやゴツホやセロニアス・モンクは、更新世のサバンナで自活できるだろうか。

私たちはみな創造的である。がたつくテーブルの脚に手近なものをかませたり、子どもをうまくっつてパジャマを着せる方法を考えだしたりするたびに、能力を駆使して新しいものを創りだしている。

しかし独創的な天才の非凡さは、作品だけではなく、それを創りだす方法においてもきわだっている。

あなたや私と同じように考えているとは思えない。

彼らは神童、「恐るべき子ども」、型破りの暴れん坊として登場する。

女神ミューズの声を聞き、 一般通念を否定する。

月並みな道をよちよちと歩く私たち凡人とはちがつて、インスピレーションに打たれて活動し、洞察をもつて飛躍する。彼らは問題を横に置き、それを無意識のなかで孵化(ふか)させる。

そしてだしぬけに閃光がきらめいて、完全にできあがった解答が姿をあらわす。

これだ!天才は私たちに傑作を、抑圧されていない無意識の創造性の遺産を残していく。

ウデイ・アレンの「もし印象派画家が歯科医であったなら」という話に出てくる架空のゴツホの手紙が、このイメージをとらえている。

ゴツホは苦悶と絶望のなかで弟に宛てて書く。

「トクル・シユウインマー夫人はぼくを裁判所に訴えている。

ぼくが自分の好みで彼女の橋義歯(ブリッジ)をつくったため、彼女のばかげた口にそいつが収まらないというのが訴えの理由だ。

そのとおり、そこいらの職人のような注文商品は、僕には作れない。巨大な、ふくれかえった橋義歯にしよう。そうぼくが考えたのだ。

激烈な、野性的な歯が、炎のようにあらゆる方向に燃えひろがつているべきだと。ところが彼女は、これでは口に入らないと怒つている。

愚かなブルジヨワ女だ。なぐりとばしてやりたい。入れ歯を押し込もうとはしてみたのだが、そいつはスターバースト型のシャンデリアみたいにとびだすのだ。

しかしヽぼくは美しいと思う」(伊藤典夫・堤雅久訳)

このイメージは2000年前のロマン主義運動に由来し、いまではすつかり定着している。

創造性のコンサルタントはブレインストーミングだの、水平思考だの、右脳開発だの、あらゆる管理職をエジソンに変えると称するわけのわからない研修をして、企業から何百万ドルも取つている。

夢をみているような無意識の不思議な問題解決の力を説明するために、級密な説がいくつも組み立てられている。なかにはアルフレツド・ラツセル・ウオレスのように、自然では説明できないという結論を出している人たちもいる。

モーツアルトの手書きの楽譜には修正箇所がまつたくないと言われている。

楽譜は神の心から出たものにちがいなく、神がモーツアルトをとおしてその声を表現することを選んだのだという。

残念なことに創造的な人たちは、自伝を書くとき最高に創造的である。歴史家は、彼らの日記やノートや原稿や菩簡を綿密に調べ、彼らがたびたび無意識の稲妻に打たれて何かを見る気まぐれな予見者であったことを示すじるしを探してきた。

しかしわかったのは、創造的な天才はアマデウスよりもサリエリに近いということだった。

天才は仕事の虫なのだ。典型的な天才は、永続的な価値のあるものを生みだすまでに少なくとも10年を捧げている。

(モーツァルトは八歳で交得曲をつくつているが、それらはあまりいい作品ではない。最初の傑作を生んだのは作曲をはじめて一二年めである。)

修業の期間、天才は自分のジャンルに没頭し、無数の問題とその解決法を吸収する。したがってどんな難題もまったくの新手ではなく、厖大なモチーフや戦略のレパートリーを備えている。

ライバルに日配りをして、風向きを見定め、眼力をもつて、あるいは運に恵まれて問題を選びとる(不運な人はどれほど才能に恵まれていても、天才として記憶されることはない)。

他者の評価や自分が歴史のなかに占める位置を忘れない(物理学者のリチヤード・フアインマンには、彼がどんなに明晰で、不遜で、賞賛されていたかをつづつた著書が三冊あるが、そのうちの一冊は『人がどう思うかなんて気にするな』(邦訳一困ります、ファインマンさんこというタイトルである)。

彼らは日夜働いて、独創的な仕事をたくさん私たちに残す(ウオレスは晩年を死者とのコミュニケーションを試みることに費やした)。

問題からしばし離れるのが有益であるのは、それが無意識のなかで熟成されるからではなく、天才たちが疲れ果て、休息を必要とするからだ(そしておそらくは、いきづまりを忘れることができるからだ)。

彼らは問題を抑圧するのではなく、「創造的に悩む」のであり、顕現は神技ではなく、それまでの試みのひねりである。

彼らは際限なく修正をくわえ、徐々に理想にせまつていく。

もちろん天才は、四枚のエースをあやつるように生まれついているのかもしれない。

しかし彼らは、私たちの心とも、つねに才覚によつて生きてきた種において進化したと想像できるどんな心ともまつたくちがう心をもつた変種ではない。

天才がすばらしいアイデイアを創りだすのは、私たちみんながすばらしいアイデイアを創りだすからだ。

それこそが、私たちのもつ組み合わせ方式の適応した心が得意とすることなのである。

ー「心の仕組み(下)」スティーブン・ピンカー(山下篤子訳)ーより抜粋

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